カウンセラー紹介


はじめまして、原優子と申します。

これまで、某区役所・東京都公益財団で派遣で就労しておりました。たくさんの区民や都民の方々を裏でお支えし、私自身もあらゆる部署において勉強をしてまいりました。区役所では、戸籍住民課・高齢介護課・在宅支援課・環境政策課・地域まちづくり課・こども支援課で、東京都公益財団では、たんの吸引等の医療的ケアを行う介護職員等の養成に携わっていました。乳幼児から高齢者、環境、街の再開発に至るまで広く関わってきました。仕事以外では、友人のお悩み相談を受けることが多く様々な悩みに耳を傾け、時に背中を押したりしてきました。また、こどもの頃から様々な経験をし、辛い思いや傷つくことも多々ありました。それを乗り越えてきた私だからこそ誰かの力になれると信じています。一人でも多くの笑顔のためにお手伝いしたいのです。

まずはお困りのお話をじっくり聞かせていただき、その後、お一人お一人に応じて、カウンセリングさせていただきます。
カウンセリング、と一口に言っても、そのやり方は様々です。カウンセラーによっても違います。

「そもそもカウンセリングってどういったことをするところなのだろう」と思われる方も少なくないのではないでしょうか?

「これに困っている」ということが明確になっていらっしゃる方はもちろん「こんなことでカウンセリングに行っていいのだろうか」「クリニックは敷居が高いからとりあえずカウンセリングを」という方でも、ご相談していただければと思います。

カフェに来られない方はオンラインも受け付けておりますので、あなた様のスタイルに合わせてご利用ください。

過去も未来も「今」の積み重ねだと思っています。おなた様の「今」を大切に。どうぞよろしくお願いいたします。

カウンセラー本人

略歴


東京都生まれ。中流家庭で金銭的に困ったことはないが歪んだ愛のかたちの家庭に育つ。3歳ころ高田馬場にあった劇団に所属する。面接のときにハキハキしたしっかりした子だとほめられるが、活動した記憶はない。幼児期に両親が商売をしていたため幼稚園はひとりで20分ほど歩き通っていた。引っ越し後、公立小学校入学式は私が選んだウールでグレーにピンストライプの生地でオーダーしたダブルスーツに革靴だった。通知表には、真面目に学習するが発言しなくて大人しいと書かれる。これは中学校まで続く。母のスパルタでかけ算九九は一晩で覚えた。それでも、両親にほめられた記憶はなく、自己肯定感の低い子どもだった。小3の頃から母はメンタルに不調をきたし、入退院を繰り返すようになる。父は仕事の関係で帰宅しないことが多く、家事や妹の面倒を見ていた。転校した小学校でいじめを経験。担任から国立中学校受験を勧められるが両親の反対でかなわず、公立中学校に進学。このような家庭環境から中学時代からは自殺願望が強くなる。70あった偏差値は48まで落ち込む。担任の国語教師から発表時に「そんな説明では教師になれない」と言われ断念する。高校になると新宿のディスコに通い出す。両親は大嫌い、大人は嫌い、誰も信じなかった。心理学を学ぼうと思ったが両親の反対で大学進学を断念、女子短大の国文科を卒業する。出版社に就職するが胃潰瘍と十二指腸潰瘍を発症、一年で退社。体調回復後、新島、六本木、麻布の超遊び人になる。名前は3種類を場面で使い分けていた。誕生日はディスコのVIPルーム。新島でバイト中に日航機墜落事故で後輩を失ったことを知る。六本木で知り合った男性と結婚し、二児を授かる。自分の命は自分だけのものではないと気づく。子ども達は小学校受験をし有名私立小学校入学。子ども達の手が離れたところで派遣でフルタイムの区役所勤めがはじまる。父がガンで亡くなってから母がうつ状態になり認知症を発症する。仕事と介護で大変だったのだが、母が安全に一人暮らしできるまでに回復したのを機に大学入学を決意する。

経歴


2015年4月 慶應義塾大学通信教育課程 文学部Ⅰ類 入学。哲学・心理学・社会学を働きながら学ぶ

2023年3月 慶應義塾大学通信教育課程 卒業 学位は人間関係学

資格など


  • 認知症サポーター養成講座受講修了
  • ゲートキーパー養成講座受講修了
  • 一般財団法人日本能力開発推進協会認定 上級心理カウンセラー資格